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旅: 「東海道・山陽道」 第五節

静岡→藤枝→榛原→掛川→磐田→弁天島→豊橋→岡崎・世尊寺→知立→名古屋・熱田→一宮→木曽川

十七静岡を発す

 いよいよ旅立とうとして再び、静岡城をながめる。
問わないで貰いたい、愚か者の長い旅のことを。
 八月の朝八時頃、太陽の強い光が街路樹を照らす中、さても車の走る音と蝉の鳴く声が激しくうるさいことよ。

十八 鞠子の宿

 西への旅を楽しもうとして広重の画いた「東海道五十三次」に従って計画を立てたが、ここ「鞠子之宿」の絵に因む「丁字屋」を訪ねると旅している実感が頻りに湧いてきた。
 垣根のあたりで芭蕉の句を吟じたら、絵の中の「女」の末裔に当たる人がにこにこと笑っていた。

十九 大井川橋下

 大井川は滔々と又ある処ではさらさらと流れている。旅人である私は駿河と遠州を結ぶ橋の上で立ち止まって川の流れを見た。
 すると心ひかれ(茶目っ気がでて)、衣を脱ぎ捨てその清らかなせせらぎで泳ぐことになったのだが、気分爽快で忽ち熱さを忘れ別世界にいる心地がした。

二十 牧之原茗園

 大井川の西の丘陵はお茶畑の緑がとても鮮やかであり、そのお茶畑はどこまでも続き、その景観は見渡せば見渡すほど感に堪えない気分になる。
  聞く処によると、このお茶畑は明治維新成って、旧徳川藩士が刀を鍬にかえて野を拓き山を耕して開墾し、この様に遙か天に到る景観になったと云うことである。
 

二十一の一 天龍川に到る

みどりなす流れはさかんに、この天竜は何れの処より流れてきたのか。
激しく流れる水の音はやむことはなく、私はただ見つめて立ちつくすばかりだ。
 

二十一の二 天龍

 天竜川の水は流れて尽きることがなく、川辺の雲には遠雷(のような流れの音)を聞く。
長々と川は下り来て緑の野を切り開き、海に流れ入って空を駆けめぐっている。
 

二十二 吟行道中感有り

色々な土地を通り、諸々の体験をしながら旅を楽しんでいるが、旧東海道沿いの人の心ばせには感動して忘れがたいものがある。
 私が吟じた時、おもむろに頬被(ほっかぶ)りをとって片膝を地について鄭重に聞いてくれたのである。そんな機会に接した時、私はこれぞ正に日本の、本来の婦人の慎ましい姿と思ったのである。
 

二十三 足延池

 お寺のまわりのおもむきは昔のままで、木々は高く或いは低く茂り、池の水面は平らである。
 春には岸辺にのぞむ花々が悪い気を消し、秋には山を染める紅葉が雅な風情を生じさせる。冬の林には鳴く鳥の声がわだかまりのない心をいざない、夏の池にはおよぐ魚が日暮れのおもむきをもてあそんでいる。
 この足延池は景色を眺め楽しむに四季を問わない。常に世事に煩わされぬ心に満たされるのだ。
 

二十四 三河路吟行

友がいれば長旅もつらくはない。気ままに高らかに吟じて愉快な顔がいっぱいだ。
晴れた夏空のもと、田には稲穂が実り何処までも広がっている。私は旅人となって、その様な三河をなすがままに歩き続けるのである。
 

二十五 桶狭間の戦い

 激しい雨と黒雲は鬼神を呼び、ときの声は雷の音に交じって兵はやみくもに戦った。
英雄信長の奇策はぬかりなく、猛進する三千の兵の気勢はいよいよ振るうばかりだ。
 

二十六 熱田神宮にて会詩を吟ず

 ここ熱田神宮はこんもりと茂る松柏が世俗の世界を断っている。それにしても神宮の参拝者は多いのにどうしてざわつかず粛然たる雰囲気なのか?
  我々は垣内参拝をして会詩を高らかに合吟した。すると、ことさらに詩句の意味する厳かさが限りないものに感ぜられた。

 

二十七 清洲城に到り作有り

 清洲城に着いたのは夏空の日中であった。はるばるやってきた私はベンチに横になって昔のことに思いを馳せながら休むことにした。
 ということで、蝉時雨を聞きながら一眠りし、夢の中で信長と会ってみようと思うので、しばし昼寝の邪魔をしないで貰いたい。 
 

二十八 木曽川に到る

 頼山陽が下って行った桑名は何れの処か?
川の流れは馳せるように流れている。今木曽川の東側に到達し、すぐさま山陽の詩を吟じた。
 そして缶ビールを高々と挙げて乾杯し長旅の成就を祝ったが、夏の雲は遠く何処までも青空に広がっていた。
 

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