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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第三節 > 後北条を懐うて作有り

旅: 「東海道・山陽道」 第三節

小田原 → 箱根 → 三島

後北条を懐うて作有り

詩意

 兵を用いては知略にたけ、治世を敷いては民の心情を慰撫し、一統の家訓は厳然として守らせ、後北条氏は代々に栄えた。
 しかし、毎日の食事の時の分量を見る事にもいい加減であってはならない。
君主として臣下に望み、国を統治することは平生の些細な気配りが大切なのである。

解説

「ああ、北条も私の代で終わりか!…だって見たか。彼は一杯の飯に汁を三度もかけ加えて食った。普段の食事の飯と汁の分量も見切ることが出来ないで、この北条を裁量することが何で出来ようか」
 四代目となる氏政が朝食を済ませて席を立った時、父氏康は側の者に嘆いたという逸話である。
北条早雲より三代目氏康は文武兼備の武将で、古今の名将と言うにふさわしく北条全盛時代を築いた。
 戦国を支配するとは容易なことではなかったのだろう。 
 後北条家の菩提寺である早雲寺には北条五代の墓が等しく並べてある。        

 三月一九日・二十日。
第三回目の吟行は小田原を発し箱根に一泊、三島までの行程。
小田原駅に集合した我々は、また小田原の吟友に見送られながら出発した。
同行者は家吉龍真、青山博風、坂井学風氏と、それに茅ヶ崎教場の池田龍翔氏と坂井遊泉(女)、蔭山陽泉(女)、森干城氏の四人で計七人。

 小田原城を迂回してやがて早川を左に渡り、登り坂にかかる処に早雲寺がある。
 早雲寺は清閑として三月の朝のまだ日が入らぬ、土の冷たさを感じる中にあり、
庭には梅の古木が見事に腹這って、花を散らしている。
そして本堂の前に初代の北条早雲と同時代である宗祇の句碑が刻まれている。
 庭を掃いていたご住職に詠んでもらい吟じた。
「世(よ)に婦(ふ)るハ 更(さら)に しぐれのやどり可奈(かな)」
「いやーその声でお経も上げて貰いたいなー」
 ご住職はとても気さくな人で、北条家代々のお墓を案内して頂いた。
お別れには
「鞠子の宿に行ったら柴屋寺に行きなさい、ここの姉妹寺だから」
といってくれた。楽しい箱根登山となる。

「山路(やまじ)きて何(なに)やらゆかしすみれ草(くさ) 芭蕉(ばしょう)」
 筋向かいのお寺には芭蕉の句碑がある。
丁度、道野辺にこの可憐なすみれ草が咲いていた。
 

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