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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第四節 > 十四 千本松原首塚にて感有り

旅: 「東海道・山陽道」 第四節

三島→吉原→清水→静岡

十四 千本松原首塚にて感有り

o三豪…相模(北条)、駿河(今川)、甲斐(武田)の三国。
o鉄馬…軍馬。
o承句…明治三三年五月、暴風のため老松が根元より倒れた。するとその地中より数十体の骨が現れた。大半が二十歳前の若者の物と判明した。因みに、この地は後述する合戦があったところで、その犠牲者であったかも知れない。兎に角、町の人は骨を移し、碑を建て首塚とした。
o転句…曹松の詩「己亥の歳」の句、「一将功成って万骨枯る」をいう。
o史策…歴史書。
※一五四五年、今川義元は、富士川東方に勢力を張る北条(三代目氏康)を攻めた。甲斐の武田信玄はこれを助け、この地に兵を向けた。勝負は決せず、義元は軍師太原雪斉の意見を入れ、駿・相・甲の姻戚関係を更にすすめ三豪軍事同盟を締結する。
 

詩意

 その昔、三大勢力が戦を交え、その結果犠牲となった多くの少年兵の屍を老樹が抱くことになった。
 この首塚の由来を聞けば、正に曹松の「己亥の歳」の一句を思わせるものだ。歴史書の行間にはこのように、おおよそこんな事は見捨てられているに違いない。
 その昔、三大勢力が戦を交え、その結果犠牲となった多くの少年兵の屍を老樹が抱くことになった。
 この首塚の由来を聞けば、正に曹松の「己亥の歳」の一句を思わせるものだ。歴史書の行間にはこのように、おおよそこんな事は見捨てられているに違いない。
 

解説

「一将功成って万骨枯る」正にこれが歴史である。
「……あの若者たちは、せめて満足な武器と防具に身を固めることが出来ていたんだろうか。華々しく死ぬことが出来たのだろうか……。」
 
 この景勝の地もその昔、合戦の場と化したことがあったのである。
松の林に刀槍をきらめかし、甲冑に身を固めた武者どもが砂を蹴って駆けめぐる、風光明媚だけに色鮮やかな戦絵図が浮かんでくる。
 戦国の世の、今川は義元、武田は信玄、北条は三代目氏康と、三国がそれぞれに最強を誇っていた時代である。
お互いの力を改めて知り、益々三強の鼎立を固めた結果に終わった局地戦であったようだ。
物の本にはその戦の内容よりも、結果の同盟を結んだ内容に詳しい。
 当然、犠牲者もあった。
それぞれに強国を誇った勇将の下に忠実に働いたであろう精兵である。
そしてその精兵は皆若者である。
そしてそれには親があり、為に働き支える家があり、いとしき人がある。
歴史書には一々現れない。
「戦争」も「いくさ」もその不幸は、今も昔も変わらない。
 時は移り、三百数十年が経って、強風に老樹となった松が根元から倒れ、数十体の人骨があらわれたという。
そこはかとないおぞましい怨念を思わされる。

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