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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第五節 > 二十 牧之原茗園

旅: 「東海道・山陽道」 第五節

静岡→藤枝→榛原→掛川→磐田→弁天島→豊橋→岡崎・世尊寺→知立→名古屋・熱田→一宮→木曽川

二十 牧之原茗園

o茗園…茶畑。
o井水…大井川。
o龍鱗…鱗のように高く低く連なっている様を言う。劉禹錫の詩に「茗園晴望似龍鱗」とある。お茶畑の緑が輝いてうねうねと続く様。
o縹渺…遠く遙かに見える様。
o窮士…明治維新なって静岡に移封された旧徳川家士族の意。
o槈…クワ。
 

詩意

 大井川の西の丘陵はお茶畑の緑がとても鮮やかであり、そのお茶畑はどこまでも続き、その景観は見渡せば見渡すほど感に堪えない気分になる。
  聞く処によると、このお茶畑は明治維新成って、旧徳川藩士が刀を鍬にかえて野を拓き山を耕して開墾し、この様に遙か天に到る景観になったと云うことである。
 

解説

八月八日、榛原郡吉田のホテルを朝四時に出立、同行は家吉龍真、池田龍翔の両氏、掛川に向かう。
 榛原教場に立ち寄ったことで東海道を大きく離れている。
榛原郡吉田町からは東名高速を暫くなぞって、牧之原の茶畑の中に入ることにする。

 夏の朝は早く、市街を歩く内に空は明るくなった。
やがてお茶所、それらしいお茶畑の中に入った。いたる所、茶畑だ。
 道に迷った。
家吉さんがやっと朝の動きが見て取れた農家を訪ねた。
「半径三〇分以内の所にコンビニストアはないでしょうか?」
 と尋ねたという。
 顔を出したおばさんは逆に訳を聞いて
「それなら家に昨日の残り物でサツマイモがあるけど、それでも良かったらどうぞ」
 とのこと。
話を聞いて吹き出していると、おばさんがサツマイモと漬け物を小ぎれいにお皿に盛って現れた。
我々は有り難く頂きお茶をすする。

 そこに別れを告げて台地に出ると本格的な大茶畑となった。
一望千里、朝日を受けて目に緑が鮮やかだ。
 明治維新なって、徳川家は静岡に押し込められ、職に窮した遺臣のためにこの茶畑の開墾がなされたと昔聞いたことがある。
 後日、資料館に尋ねるとそれもそうだが、付け加えて、同じ失業対策として大井川の川越人足、そして在郷の農民を併せ三つの人達からなり、それぞれ開墾した地区があるそうである。
 歴史の栄枯盛衰と共に、武士に次いで川越人足という職業を廃絶させたことになる。
昔は今にない、色んな生業があったのだ。
変化の激しい今の世は同じ事がもっと起こっているに違いない。
 

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