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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第五節 > 二十四 三河路吟行

旅: 「東海道・山陽道」 第五節

静岡→藤枝→榛原→掛川→磐田→弁天島→豊橋→岡崎・世尊寺→知立→名古屋・熱田→一宮→木曽川

二十四 三河路吟行

o弊衣の塵…いたんだ旅衣のよごれ。
o随意…気まま、思うまま。
o愉色…愉快な様子のこと。
o晴昊…晴れた夏空。
o黄雲…稲が熟したさま。
o参州…三河。
o客裏…旅の中。
o天真…自然のまま。
 

詩意

友がいれば長旅もつらくはない。気ままに高らかに吟じて愉快な顔がいっぱいだ。
晴れた夏空のもと、田には稲穂が実り何処までも広がっている。私は旅人となって、その様な三河をなすがままに歩き続けるのである。
 

解説

浜松よりこの方三河路は句碑が多い。よく吟じた。
「春の海の どこからともなく 漕いでくる 山頭火」
 まだ暗い中だった。

「夏の月 御油より以でて赤坂や  芭蕉」
 旧街道の松や家並みが至る処に残っている。

「ここも三河 むらさき麦のかきつばた 芭蕉」
 未だに残っている風情に感動する。

「かきつばた 吾に発句のおもいあり  芭蕉」
「枯草に かすかな風がある旅ぞ 山頭火」
「はつ雪や ちりふの市の銭叺(ぜにかます) 一茶」
「不断たつ 池鯉鮒(ちりゅふ)の宿の木綿市(もめんいち) 芭蕉」
 東海道は江戸時代より大動脈であり、特に知立は交通の要衝だ。賑わっている。

「神州の大気ぞ菊に添う葵  山岡荘八」
「家康公遺訓」
 東照臺権現家康公のお足元でもある。
その地盤を吾が流統では三河岳精会がよく活動している。

 浜松前後から、特に愛知県に入ってからは延べ三日間に渡り、先の高木夫妻に始まり、岡田龍峰氏、天野龍明氏そして深浦精正会長自ら、入れ替わりたち替わり、或いは大人数で歩いた。
所々に昔の松並木が残っていて、旧東海道の名残を伺うことが出来る。
 途中、御油の街道、明治川神社、不乗森神社、方厳和尚の無量寿寺、在原の業平の在原寺等々、当地の名所を次々に案内された。皆さん中々健脚である。
良く引き回され、良く吟じた三河行であった。
 

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