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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第五節 > 二十五 桶狭間の戦い

旅: 「東海道・山陽道」 第五節

静岡→藤枝→榛原→掛川→磐田→弁天島→豊橋→岡崎・世尊寺→知立→名古屋・熱田→一宮→木曽川

二十五 桶狭間の戦い

o桶狭間の戦い…永禄三年(一五六〇年)五月十二日、上洛の為、駿府を出発した今川義元二万五千の軍勢を、同十九日、織田信長は桶狭間に迎え、うち破った。籠城の策をとらず、陽動作戦と細く長く伸びて手薄になった今川本体を三千の手兵で一挙にうち砕いた。折からの黒雲と激しい雨に見舞われ奇跡の勝利のように見られがちであるが、これには満を持しての慎重な作戦があった。
o鬼神…目に見えない、人間離れしたすぐれた能力を持つ神霊。
o喊声…ときの声。
o霹…激しく鳴り響く雷。
o白兵…刀、槍などの武器。又はそれを使って接戦すること。
o奇策…奇抜なはかりごと。   
o疎漏……てぬかり。
o猛進…激しい勢いで進む。
o鋭気…するどく強い気性、気勢。
 

詩意

 激しい雨と黒雲は鬼神を呼び、ときの声は雷の音に交じって兵はやみくもに戦った。
英雄信長の奇策はぬかりなく、猛進する三千の兵の気勢はいよいよ振るうばかりだ。
 

解説

 八月十四日、知立セントピアホテルを五時に出立して刈谷から豊明へと向かう。
 深浦会長に加え、豊田の岩田、佐藤氏が同行し岩田夫人、栄永さんが車を併走させた。
本部組は坂井・青山・松原の三氏が付き合っている。

 阿野一理塚を過ぎ、戦人塚に案内される。(せんにんづか)と云う。
草の生い茂る塚の前で深浦会長が早速、即興で俳句を吟じた。
聞き入る人の中には盛んに藪蚊を叩いている。そこで私も
「弔えば槍もて蚊が刺す戦塚」
 
 桶狭間に近づいている。歩を進め、国道を歩いている。
小川か溝みたいなのを渡った向こうに道路標識が見えた。
「名古屋市」とある。六時四十八分。
 わー、そうか!とうとう名古屋に入ったのか!感激である。
「やれ名古屋 一歩一歩の夏の道」

 即座に歌った。皆はそうだそうだ、その通りと云った。
この句は「千里の道も一歩から」に代わる私の心得となった。

 桶狭間古戦場址に着いたのは丁度朝の七時頃。
我々九名は次から次と、一度ならず吟ずる。
近所の人が話しかけてきた。
この公園を管理している人だそうだ。
「よく、ここで吟じる人があるが、今日のように沢山吟じた人達はいない」
 と言った。
「跡とへば昔の時のこえたてて 松にこたふるかぜの悲しき  香川景樹」
 高徳院は今川義元公の本陣跡。ご住職にはひとしきりお話を伺った。

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