TOP > >
array(2) { [0]=> object(Tabi_Vo_Category)#183 (1) { ["_attr":"Ao_Vo_Abstract":private]=> array(10) { ["id"]=> string(1) "1" ["uid"]=> string(1) "1" ["parent_id"]=> string(1) "0" ["title"]=> string(21) "東海道・山陽道" ["note"]=> string(147) "団塊の世代が歩き旅を初めてやってみた
漢詩で綴る旅だ
東海道・山陽道を73詩の漢詩で綴る吟行記" ["depth"]=> string(1) "0" ["sort"]=> string(1) "0" ["created"]=> string(19) "2011-07-07 15:41:04" ["modified"]=> string(19) "2012-02-22 18:09:55" ["delete_flag"]=> string(1) "0" } } [1]=> object(Tabi_Vo_Category)#178 (1) { ["_attr":"Ao_Vo_Abstract":private]=> array(11) { ["id"]=> string(1) "9" ["uid"]=> string(1) "1" ["parent_id"]=> string(1) "1" ["title"]=> string(9) "第五節" ["note"]=> string(135) "静岡→藤枝→榛原→掛川→磐田→弁天島→豊橋→岡崎・世尊寺→知立→名古屋・熱田→一宮→木曽川" ["depth"]=> string(1) "1" ["sort"]=> string(1) "0" ["created"]=> string(19) "2012-02-29 23:07:05" ["modified"]=> string(19) "2012-02-29 23:12:31" ["delete_flag"]=> string(1) "0" ["is_current"]=> int(1) } } }
東海道・山陽道 > 第五節 > 二十七 清洲城に到り作有り

旅: 「東海道・山陽道」 第五節

静岡→藤枝→榛原→掛川→磐田→弁天島→豊橋→岡崎・世尊寺→知立→名古屋・熱田→一宮→木曽川

二十七 清洲城に到り作有り

o清洲城…愛知県西春日井郡清洲町に所在。現在ある城は平成元年四月、清洲のふれあい郷土館として清洲城天守閣を再建されたもので、昔の城は川を挟んで反対側にあった。
o昊天…夏空。
o緬想…はるかにおもいやる。
o英雄…織田信長。
 

詩意

 清洲城に着いたのは夏空の日中であった。はるばるやってきた私はベンチに横になって昔のことに思いを馳せながら休むことにした。
 ということで、蝉時雨を聞きながら一眠りし、夢の中で信長と会ってみようと思うので、しばし昼寝の邪魔をしないで貰いたい。 
 

解説

八月十五日、十日目。ここを歩けば翌日は距離はなく最後である。
 名古屋は暑い。旧盆の頃ではあるが夏の太陽は衰えない。
 いつものように四時過ぎに宿を出て、薄明かりの中で大須観音にお参りし、六時半には名古屋城に入ったが、疲労の蓄積からか眠気が強く木陰を見付けては横になった。
 そして名古屋城を後に二二号線から六七号線に直進して清洲に向かった。
庄内川を渡り枇杷島町を通ったが、
ここはこの一ヶ月後、九月十一日、記録的な集中豪雨で水害に見舞われたのである。

 疲れたからと言ってゆっくり歩くと一層きつくなる。疲れはピークに来ている。
枇杷島を過ぎ、清洲町に入ると青山さんと顔を見合わせ「スイカを食おう」と言うことになった。
 さて、果物やが見つかって買った。
お城はすぐ近くという。
それではと西瓜を切ってもらい、それを箱に入れて運ぶことにした。
お城で食べるのである。
然し、近いと云ってもまだ少々歩かねばならない。
青山さんは西瓜の入った箱を一人でひっさげて飄々と歩いた。
見ているこちらが疲れそうである。彼のタフさはすごいものだ。

 川辺に出て、流れを見る。水草が茂り、浅い流れにまかせている。
大小の魚がうようよと泳いでいる。
近頃の子供はこんな様を見て川で遊ぶことはないのだろうか。
そんなことを思いながらお城の庭に入った。
 それは記念資料館として立てられたもので、昔のお城は川の向こうにあったのである。   
 我々は庭の木陰で早速西瓜をむさぼった。そして一吟したら本当に眠くなった。          
 

ページトップへ