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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第六節 > 三十三 彦根城

旅: 「東海道・山陽道」 第六節

名古屋 → 一宮 → 関ヶ原 → 彦根

三十三 彦根城

o彦根城…彦根市の琵琶湖畔にある。家康が甲斐を手中に収めた後、井伊直正は武田旧臣を付与され、武具        旌旗を赤一色にし「井伊の赤備え」と武門をうたわれた。関ヶ原の役後、近江佐和山八万石を封土としたが、その後子孫が佐和山城を廃し、湖よりの彦根に城を移した。北陸道と中山道の要衝に当たり、京師をにらむ役目があった。

o江州…近江の国の別称。o睥睨…あたりをにらみつけて勢いを示すこと。

o一場の夢…過ぎ去った昔の事を、あっと言うまの出来事のように空しく云う。

o浩浩たる…広々としているさま。
 

詩意

 かって「井伊の赤備え」とうたわれ勇名を馳せたが、その井伊家の彦根城は近江の国を睥睨した。
 高楼に登ってみると昔のことがかすかに偲ばれ、広々とした琵琶湖の水と空を眺めると、むなしくも郷愁を惹かれることだ。
 

解説

 関ヶ原を出て柏原、醒ヶ井と中山道宿場町はもう滋賀県である。

 番場の街道を通った。
小説の番場の忠太郎の出生地である。
 田舎びた道を楽しむのは良かったが、段々と道は細くなりそのまま峠に入ってゆく。
家も見えず人も通りそうにない道に入ったが、山の中を西の方へかまわずそのまま歩いた。
やがて下りになり視界は開け、国道八号線に出た。
鳥居本宿にはまたしても旧中山道の町並みを見られた。

 翌日は彦根城へ。
天守閣は全国でも唯一、昔の儘に保存されているものだそうだ。
階段が急で一段一段が高い。こわいぐらいだ。
昔の殿様やお姫様はこんな処を登ったのだろうか?
雲一つない琵琶湖を見渡した。眺めが良い。
やはり琵琶湖畔まで行ってみよう。
 
 足は限界に来ていた。二日間九十キロ弱、ほとんど休むことをしなかった。
独りで歩くことの陥りやすい危険性だ。
足を引きずりながら、やっと辿り着いた。

 堤防に腰を据えて心ゆくまで眺める。
土地の人は季節はずれの滅多にない上天気だという。
広々とした水と、どこ迄も広がる雲一つない大空があった。

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