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旅 >
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漢詩で綴る旅だ
東海道・山陽道を73詩の漢詩で綴る吟行記"
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東海道・山陽道 >
第七節 >
三十六の二 新島襄先生海外渡航の地碑を拝して作有り
旅: 「東海道・山陽道」 第七節
彦根 → 野州 → 京都 → 京都観光 → 山崎
三十六の二 新島襄先生海外渡航の地碑を拝して作有り
註
o碑…同志社の創始者、新島襄は二十二歳の時、函館より密航して上海を経てアメリカへ渡った。函館港の一角にその石碑が建っている。
o英髦…優れた若者。新島襄のこと。
o緬思…はるかに想うこと。
o気鋭…意気込みが鋭いこと。
o聊爾…ふと、おもいつきで。
o便ち自ずから狂す…すると、すぐに、自然とおごり高ぶるのである。
詩意
ここから、かって新島襄が密航したという函館港に来てみれば、 それを記念に建てられた石碑の辺には潮の香りが芳しい。
英髦(えいぼう)何(いずれ)の処(ところ)ぞ 白雲(はくうん)長(なが)し かのすぐれた若者の姿は何れの処ぞと偲べば、白雲が遠く海の彼方に浮かんでいる。
緬思(めんし)す気鋭(きえい)の 邦(くに)を興(おこ)すの志(こころざし) 脱藩、密航といった二つの罪を犯してまで、国を興す志を貫いた事を遙かに思いながら、聊爾(りょうじ)呻吟(しんぎん)すれば 便(すなわ)ち自(おの)ずから狂(きょう)す ふと低い声で吟じだしたが、すぐに自然と心がおごり高ぶってきた。
解説