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東海道・山陽道 > 第七節 > 三十八 寺田屋にて作有り

旅: 「東海道・山陽道」 第七節

彦根 → 野州 → 京都 → 京都観光 → 山崎

三十八 寺田屋にて作有り

o寺田屋…坂本竜馬の常宿。寺田屋騒動で散った薩摩九烈士の碑や竜馬の立像があり、又、竜馬を始め幕末の志士の面倒を見た女将おとせさんが、竜馬と共に祀られている。おりょうさんの機転もあって、竜馬は危機を脱した事件も有名。今も旅館業も行っている。


o回天…時世を一変すること。ここでは明治維新。

o青衫…若者。

o往々…しばしば。

o亭次…旅館。

詩意

多くの血を流した幕末回天の事業からは時が長く過ぎてしまった。ここ寺田屋の、昔をしのぶ庭にまつられる祠は何と感を深くすることであろうか。
 若者達は頻繁にこの寺田屋を訪ねているが、重ねがさねその若者達が口惜しんでいるのは、「竜馬のような人物が今の世の中にいない」ということだ。

解説

翌二月十三日、京都のホテルを八時半に出発。東海道を完了して更に西へ向かう。
国道二十四号線、竹田街道である。この道もどんなにか多くの人が歴史の歩みを刻んだことだろう。

 伏見に入り酒所のそれらしい香りが漂ってきた頃、道を左に曲がった処に寺田屋はあった。
午前十一時、開放されている庭に入ると、竜馬の短歌が立てかけてあった。
「世の人は われを何とも言はばいへ わがなすことは我のみぞしる」
 司馬遼太郎の小説では、この歌はまだ竜馬の資質が回りにはかなり不鮮明に映る若者の頃の歌である。すぐさま、私は高吟した。
木戸がガラッと動いて顔が二つ上下に現れた。旅館の人である。
「びっくりした、レコードかと思った」
 悪い気はしないなと思ったが、勘違いだった。
部屋の中を見学していると、同様にこの吟をはさみながら簡単な説明がエンドレスに流れ始めたのだ。

 庭は小さなお宮となっているが、絵馬がたくさん架けられている。
一枚一枚を覗いてみると、どうやらほとんどが二十歳前後の若者が架けたものである。
「竜馬に会いに来た」
 というものから、
「混沌とした今の日本の現状を憂えてならない。今の世の中にこそ竜馬がいてくれたら!」
 という願いが多い。何だか快い気分になったものである。
 今の若者を憂える声があるが、若者は同じように腐りきった世の中を憂えている。

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