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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第八節 > 四十一 播州を同羇して詞を作り青山龍博氏に贈る

旅: 「東海道・山陽道」 第八節

山崎 → 京橋 → 神戸・三宮 → 加古川 → 姫路

四十一 播州を同羇して詞を作り青山龍博氏に贈る

o同羇…一緒に旅をする。

o青山氏…学生時代ヨット部に所属。若宮のヨットハーバーを母港とする。

o流翠…山林の緑があざやかなこと。

o鮮麗…鮮やかで美しい。

o憐れむ可し…ああ。なんと。うらやましいことだ。

o四載…四年。

詩意

山の緑、海辺の白砂がとても鮮やかで美しい浜辺だ。この須磨の青い海は誰と一緒に親しもうか。
 それにしても、ああ何とうらやましいことだ。ここがかって君が遊んだ所とは。それも、大学の四年間ヨットを走らせ、青春を謳歌したとはね。

解説

 五月三日、朝四時半にホテルを出発して湊川神社に詣でる。
「あた波を ふせきし人のみなと川 神となりてそ世をまもるらむ・明治天皇御製」
 明治以降栄えた神戸及びこの日のコースは歴史的に見ると、丁度、南北朝の湊川に至る戦い、或いはそれ以前の源平の一ノ谷合戦が思い浮かぶところである。
そして最近では、平成七年の阪神・淡路の大震災による被災が思い当たる。

 我々は、間もなく、その最大被災地、長田町を通り抜ける。
その被害の後は目にしなかったが、「通り一つを隔てると、無事と地獄が別れた」と人は言った。
  
 海辺の明るい光景が開けたのは、突然のことのようであった。若宮と云う地だ。
「ああ、ここは私が居た所だ!」
 青山さんが言い出した。

 須磨の海岸に道は続く。
白い砂浜が広々と続き、紺碧の海が豊かに横たわっている。
 明るさがある。
明るさは則ち美しさである。
「須磨」の響きが伴って美しい所だと思った。


「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな・蕪村」
「蝸牛(かたつむり) 角(つの)ふりわけよ 須磨(すま)明石(あかし)・芭蕉」
 気分良く歌碑の前で、或いは公園の食堂で吟ずる。
食堂のおばさんも愛想が良かった。

 ここが須磨か。
 この海を大学四年間自分の栖にしたとは何とも羨ましい限りだ。
垂水の下宿から一〇キロは充分にあると思われるが、青山氏はトレーニングを兼ね、山の中を駆け抜けて若宮に通ったのだ。
 然し、この畏敬の友も、その駆け抜けた山道が古戦場の一ノ谷とは知らなかったという。

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