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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第九節 > 四十三 赤穂に入る

旅: 「東海道・山陽道」 第九節

姫路 → 相生 → 備前 → 岡山 → 長船

四十三 赤穂に入る

o赤穂…赤穂市。兵庫県の西南端、岡山県との県境にある。平城(ひらじろ)である赤穂城が一部復元され、或いは赤穂義士を祀った大石神社などがある。

o辺城……辺境の城。

o一水…赤穂城に接

詩意

 (峠の道からながめると)播州赤穂の山と海は、その城と町を四方から囲んでいる。そして千種川がゆったりと流れ、淡い朝がすみが赤穂の町にかかっている。
 峠を下りきり、赤穂の四十七士を弔おうと町中に入ってみると、昔から伝わっているようなものがここ彼処(かしこ)に見えつ隠れつして、旅情を満たしてくれた。

解説

ここは特に長話をしてみたい。
 第九節は土地柄に人の落ち着きと親切さが強く印象に残る旅だった。
平成十三年七月十九日、朝六時十六分新横浜発(随分馴染みになった)、姫路に新幹線で直行、九時十五分青山氏と姫路で合流して相生(あいおい)まで歩く。
 
 暑い盛りだ。西宝寺というお寺で休息した時は、境内の水道を勝手に使い、水をかぶり体を拭き、無断で吟じていたらご住職が顔を見せられ、お盆に冷たい缶コーヒーとコップを載せて勧められた。

 ある所で道に迷い小さな川に突き当たった。鉄橋が懸かっている。 
線路はさび付いているし、鉄橋も一部崩れているように見えた。
何故かしら、二人してこれは廃線であろうと決めてかかり、枕木を伝って渡った。
それほど長い鉄橋ではなかったが、足を踏み外さないように用心して渡り終えた途端、
「ぷわーん」と電車が近寄ってきて、我々がへたり込んでいる前を通り過ぎた。
 二人は信じられないといった顔を見合わせ笑った。
 青山氏は一時帰宅、翌日、また午後の合流を約して相生の駅で別れる。
彼は備前市長船の家から、私の為に電車を使って行ったり来たりして付き合って呉れたわけだ。

 さて翌二十日、相生より歩き備前の手前で青山さんと落ち合う予定。
途中に赤穂がある。忠臣蔵の赤穂城には是非立ち寄ってみたかった。
  清々しい朝の空気を吸って、独り見知らぬ道を歩き始める。
 相生から赤穂に入るには結構道のりのある高取峠を越えなければならない。
蝉時雨の中、鶯も良く響く声で盛んに啼いた。気分が良かった。
 旧道は曲がりくねって山中にあるらしい。
殿中松の廊下の事件を江戸より赤穂城まで、四日半かかって早駕籠で知らせたという。
その最後がこの高取峠である。
その時の早駆けの武士の心中、鶯の声どころでは無かったであろう。

 それは兎も角、山を登り、やがて下りになってもお店が一軒も見あたらない。
持っているのは駅前で買った「水」のみ、それも峠を登りきった時に飲み終わった。
朝食はまだである。段々心配になった。
と、下り道の中程に小さなガソリンスタンドが現れた。
 飛び込んだ。自販機で飲み物を買って、中で休ませてもらった。中はクーラーが効いている。
女性の店員さんが冷たいおしぼりを差し出してくれた。
「峠の道は気分良く歩きましたが、店がないのには困りました」。
 すると彼女は奧にすっと入り、又出てくるとトマトを差し出した。
「今朝、畑でもいで、昼食のために冷やしていた」モノである。
 有り難かった。何ともおいしいく三個全てをぺろりと食べた。吟を聞いていただかねばならない。
家吉・池田氏との牧ノ原の茶畑を想い出した。

 峠の道は、川を眼下に見て川に添い、やがて川を横切ってそのまま旧赤穂城へ向かっている。
かすかに霞がかった平らな町を見下ろしながら下った。

 人が浮ついてない。
町で何度か道を尋ねると、その度に丁寧でこちらを落ち着いた気分にさせて呉れるかのようである。
この風情は歴史と、豊かな山海に囲まれた自然がなせるものかと思われた。
 大石神社では巫女さんに大したことでもない事柄であったが質問すると、ちょっと待って下さいと、厚いさ中を小走りに駆けて、額に大粒の汗を光らせ答えてくれた。大いに恐縮する。

 さて、町中のコンビニでおにぎりとお茶をすませたきりで何も持たず歩き出す。迂闊だった。
町を出たら岡山への峠を越えるまで又飲まず食わずで歩かなければならなかったのだ。
 思い返してもコンビニがないのは静岡のお茶畑と赤穂の前後だけだった。

 西の鳥打ち峠に差しかかる所で私の前に車がすーっと止まった。
何事かといぶかしむと、妙齢の女性が窓を開け話しかけてきた。
「どちらへ行かれるんですか?」
「備前です」
「私、岡山の方に向かっているんです。良かったらお乗りになりませんか」
「イヤっ、歩き旅をしているんです!有り難うございます」
「そうですか、それではお気を付けて!」
 返辞も滑りそうになるほどワクワクした。
車に一緒に乗らないかと女性に誘われたのは生まれて初めてだが、何とも元気が出たことか。
でもよっぽど疲れているように見えたんだろう。しばし通り道の鄙びた神社に休憩する。

 また、炎天下、車が巻き上げる土埃の中を延々と歩いた。
その内何かあるさと思っていたが、無い。水も家もない。
 福浦峠を登りきった所に「岡山」とある。
遂に岡山まで来たかと、普段ならこれで元気が出るのだが、出ない。
 疲労と空腹で具合が悪くなってきた。これは本当にやばいなと思った矢先。
峠のくだりに入った時、今度はラーメン屋さんが現れた。助かったと思った。
 しかし、駆け込んで水を飲んだが食欲が湧かない。
お店には女主人が一人。事情を語っていると、さっと目の前に西瓜が
「これなら入るでしょ!」
「えっ!?…ああどうも、じゃー頂きます」
差し出された大きい三切れをぺろりと食べた。
 が、そのあとも疲れで食欲がない。とても脂っこいラーメンは受け付けそうにない。
 迷っていると冷麺が良いのではと、女主人が勧められるままにした。
私は好き嫌いのない方であるが、冷麺はあまり好きではない。
でもその時食べるとしたら、それしかないと思った。
 出来上がって目の前に現れたのは何とも大きな皿に山盛りだ。
一目見ただけで、食べる意欲は起きてこない。
「これは多すぎますよ」
「ああ、残したらいいじゃないですか」
 まあ、そうかとゆっくり箸を付けた。
一口食べると、その後は誘い水が胃袋に入ったようにして、抵抗なく口に運んだ。ぺろりと平らげた。
 女主人「宮本和子」さんと少しお話しして私はお礼をこめて一吟し、次へと急いだ。
随分時間が過ぎている

(後年、青山さんのお宅へ寄ったついでにこのお店を伺った。
[ご子息にご不幸があって、随分気を病んでいる時に私が伺ったらしい]事はお手紙で解っていたが、
 意外にもご主人からご丁寧にお礼を述べられた。しきりに
『その節は有り難うございました。おかげで家内が、それ以来元気を出してくれました。』
と仰る。お礼を言いに来たのはこちらなのに当惑するばかりだった。交際は続いている)

 日生(ひなせ)と言う町で小さな商店街を歩いた。
細い道だったが、急ぎ足に進んでいると、いきなり
「はい、お賽銭!」
 と日に焼けて枯れた手が目の前に!
「イヤ違うんです」
 とっさに言葉が出たが、気が小さい。
「いいからとりなさい!暑いのにご苦労さん。」
 見るといかにも気骨あふれるお婆さんだ。これは素直に戴かなければならない。
「私は吟をしながら旅をしているんです。一つ聞いて頂けますか?」
「ほう吟かね、良いでしょう。ここらの人は吟をやってる人がいっぱいだよ」
「こんな長いのをやりますが良いですか?」
 とプリントを渡し吟ずる。
「自然と人生・徳富蘆花」である。
 吟じだすと土蔵みたいなそこは声がほどよく響いた。
気が付くと、向かいの店からガラス越しに三,四人、笑い顔でこちらを見ている。
ひょっとするとこのお婆さん近所でも名物なのかも知れない。
それに加え私の格好と吟だ。面白みをおびるには充分だったろう。
「うん!あんたなかなかいいねえ。」
「おばーちゃんはやらないんですか?」
「私はやらない。ここら辺はねえ、吟が盛んだったんだよ。『○○』先生というのが来ててね、でも近頃忙しいのか来なくなって、吟をやる人もなくなった」
 吟界では○○先生は有名である。
吟が広まるというのは町中での地道な活動あってのものかと認識を新たにした次第である。

 さてさて、またも時間を食ってしまった。
携帯で青山さんとやりとりしているが、もう予定を四時間もオーバーして待たせている。
やっとの思いで、岡山ブルーラインの交差点で顔をあわせた。
「ははー、随分かかりましたね」
 畏敬の友は、悠然と言った。
 四時間もの間、炎天下でどんな風に時間をつぶしたのだろうか?
それだけ考えても私には計り知れない御仁である。
 かくて朝五時半に出発して、夜八時半に到着。良く体が持ったものだ。

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