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漢詩で綴る旅だ
東海道・山陽道を73詩の漢詩で綴る吟行記"
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東海道・山陽道 >
第十節 >
四十六 岡山を発す
旅: 「東海道・山陽道」 第十節
岡山 → 倉敷 → 福山 → 尾道 → 本郷 → 西条 → 広島 → 宮島口 → 岩国 → 熊毛 → 新南陽 → 小郡 → 厚狭 → 門司港 → 八幡 → 帰宅
四十六 岡山を発す
註
o瓢泊…漂泊。あちこち流浪する。
o備州…岡山をさす。
o駅亭…宿駅。
o九六…五十四歳の意。
詩意
家を出ること幾回か、この旅も一年を過ぎた。今、八月の暑さの中、岡山の駅の前に立った。
時世にそむく五十四歳は惑いがないという訳ではないが、ただ西の空の雲を仰いでは、意志がますます堅固になるのである。
解説
もう乗り慣れた新横浜六時十六分発、「のぞみ」で岡山に向かう。
九時十二分岡山着。丁度三時間で到着した。
因みに、私は横浜から岡山まで三十一日間かけて歩いている。
つまり私の一日の行程を「のぞみ」は六分足らずで走っている。
いかに早いか。如何に便利な世の中であるのか。便利なことは良いことだ。
が然し、…それだけでは…ナ。
例えば私は一年を通じて遠方へ出張も多い。
だが、九州や北海道に行って帰ってきても、何だか隣の部屋へ動いて又自分の部屋に戻った、と、思えなくもない。決して大げさな言い方ではないと思っている。
そして馬令を重ねることで錯覚を増幅させる。
土地から土地へ自分の足で歩いたら、途中に物事や人との出会いがあった。
歩く旅は生きている事の証にも感じられる。
一日が六分で通り過ぎることはない。
その中身を否応(いやおう)無しでたっぷりと賞味しながらの一日、一日の歩きである。
また、歩く時は色んな憂さが吹っ飛ぶことも事実であった。
初めて鎌倉まで歩いた時、こんな馬鹿を最後までやり通してみたい、と、強い感情に駆られた。
だけど初めから九州まで歩くとは言えなかった。
家内は初めあまりいい顔しなかった。
唯一たまの休みも一人で費やし、心配をかけていることは一通りではなかったから無理もない。
この頃には、すっかりあきらめの心境か
「気をつけて行ってきて下さい」
と、暖かい風で送ってくれた。
矢張り、やり通さなければ行けない。愚かな物事もやり通して初めて市民権を得る。
かくして出発した。だが体調は良くない。
流統の全国吟道大会から夏場まで疲労が溜まっていた。前年も同じだった。
八月五日、一日目は岡山・倉敷間で距離を短くしたのが幸いする。
体を徐々に慣らして行く計画だった。