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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第十節 > 五十一 書簡集「撫子」を思うて広島に過ぎる

旅: 「東海道・山陽道」 第十節

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五十一 書簡集「撫子」を思うて広島に過ぎる

詩意

八尾洋二、咲子の兄妹は学童疎開し、広島の原爆によってご両親と長男のお兄さんと一番下の妹さんを失った。兄妹には(疎開中に届けられた)一束の手紙だけが手元に残っただけだった。    (大人になるまで大切にしていた)その手紙類を一冊の本にされた。題は「撫子」とつけられた。
「撫子」とはお父さんからの最後となった手紙の中にやさしく問われた花の名前である。私は拙い詩を作ったが、これを八尾洋二氏に贈り、亡くなった方々の霊を弔うものである。

解説

 平成十三年八月十一日、平和記念公園に入った。
もう、旧盆が近くひと頃の夏の暑さの勢いはないが、好天の光りが強く、それが公園の手入れの行き届いた芝生の緑に良く反射していた。。
 我々はしばしモニュメントなどを一つ一つ見ながら園内を歩き、そして資料館へ入った。

 悲惨であることは言うまでもない。
旧制中学の小さな制服がずたずたに破け焼けこげているのがあった。
私には胸の内では始めから、ある印象が鮮明に浮かび上がっていた。
 それは八尾洋二・咲子兄妹の宝物、今に遺るご両親とお兄さんからの書簡集「撫子」の事である。

 もうこの時から六,七年前の事になる。
千代田岳精会の林さんから、これを是非読んでくれと一冊の本を頂いた。
 家に帰り「撫子」と題されたその本を開くや、厳粛な気分になって一気に読んでしまった。

 「撫子」は八尾洋二・咲子兄妹が学童疎開した五ヶ月足らずの間に肉親から頂いた手紙をそのまま綴ったものである。所々に咲子さんによる解説が挿入されている。
 巻頭には一家六人のご家族写真があり平和と幸せに満ちている。また、残されたお手紙には深い慈愛に満ちたお心配りが窺え、やがて受けなければならない運命の苛酷さに、読み進めて行く者の心を傷める。涙無しでは到底読み通せないものだった。
 同時に、その家族のご様子や、特にご両親のお心遣いに同情と敬服の念が強く生じてくる。
 子を思う親の心。子を育てるとはこういうことなのか。
そして、ほんとうの教養とはこんなものなのだとも。
とてもご立派で、同じ子を持つ親として自分は恥じ入るばかりだ。

 

 八尾洋二さんは千代田岳精会の会員である。
こんな境遇の人が身近な吟友として居られる。
そして無念に逝かれた敬服すべき肉親とかっての上質なご家庭。
こういったものに自分ながらにお線香をあげたいと思った。
 是を詩にすることによってだ。

  悪戦苦闘して長詩にした。
 出来たものは漢詩家から見たら他の詩以上に漢詩といえるかどうか分からない。
でも、自分ながらに亡くなった人へ精一杯の鎮魂歌を捧げたつもりでいる。
 
 岳精会でこの拙詩を研修した。
その時は会場いっぱいに何時になく厳粛な空気に包まれた。
すすり泣く声があちこちから漏れた。

 ここに「撫子」そのものを紹介出来ないのがいかにも残念である。
 願わくば、あの「撫子」と題された良本が多くの人の目に触れていただく機会があったらと、それを望むばかりである。
今までに深夜ラジオ番組「ラジオ深夜便」で紹介されているし、「平和祈念資料館」に奉呈されている。                   
 御兄妹が幼い頃のご不幸から今日にいたり、それぞれ立派なご家庭を築かれ平安に過ごされている事は何にもまして浮かばれる思いにさせられる事である

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