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漢詩で綴る旅だ
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東海道・山陽道 > 第十節 > 五十三 厳島懐古

旅: 「東海道・山陽道」 第十節

岡山 → 倉敷 → 福山 → 尾道 → 本郷 → 西条 → 広島 → 宮島口 → 岩国 → 熊毛 → 新南陽 → 小郡 → 厚狭 → 門司港 → 八幡 → 帰宅

五十三 厳島懐古

o厳島…安芸の宮島。

o遠慮深謀...深謀遠慮。よく考えて計画を立て、将来に対しても十分な考えをめぐらすこと。

o間…ひそかに。 

o陶軍…陶晴賢の二万七千の大軍。 

o争裏…争ううちに。

o三矢…「三矢の訓」。毛利元就には三人の息子隆元・元春・隆景がおり、「一本の矢はすぐに折れるが、三本束ねた矢は折ることが難しい。お前達兄弟もこの様に力を合わせて毛利の家を守ることが大切だ」と諭した。尚、元春は吉川家に、隆景は小早川家の養子先で当主となり本家の隆元を助けた。

o中国の毛公…毛利氏の最大勢力は山陽側を東進して備前から播磨へ、北は但馬にまで達し、中国全域に及んだ。

詩意

毛利元就は遠く先々までの考えを張りめぐらし、深く考え策を練り、陶晴賢の大軍を島に閉じ込めた形にしたかと思うと、敵に気づかれぬように舟を島に寄せて兵を上陸させ、あっという間に滅ぼしてしまった。

彼は群雄が割拠して争う中に力をつけ、息子三人には力を合わせることを訓育し、一代にして中国の覇権をとったのである。

解説

古来より神を「いつきまもる」と云う厳島。

ここで戦国時代中国一帯の勢力を決定しかねる大合戦があった。それも信長の桶狭間と同じように小よく大を制している。一方的な作戦勝ちだ。今の広島県吉田郡山に小領主として出発した毛利元就は関東の北上早雲を髣髴とさせる。共に小より起こって大勢力を築いた。知謀にたけ、良く一族を訓育している。 宮島口に到着すると、まだ宮島への最終往復便があるという。ホテルへ入る前に乗った。いよいよ日が山陽の山かげに隠れようとする頃だった。厳島神社はもう閉ざされ、鹿たちが三久五久体を休めていた。それだけだったが宮島の夕景を楽しんだ。 風呂を浴びて近くの飲み屋にでかけた。 隣のテーブルには若い夫婦が居合わせた。婦人は身重だった。お母さんが吟詠歌だと聞いて「新家庭にカンパーイ!」

既に広島を過ぎ、明日は山口県に入るという充足感があった。

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