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漢詩で綴る旅だ
東海道・山陽道を73詩の漢詩で綴る吟行記"
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東海道・山陽道 >
第十節 >
五十九 小郡に向かって途上龍吟堂を思う
旅: 「東海道・山陽道」 第十節
岡山 → 倉敷 → 福山 → 尾道 → 本郷 → 西条 → 広島 → 宮島口 → 岩国 → 熊毛 → 新南陽 → 小郡 → 厚狭 → 門司港 → 八幡 → 帰宅
五十九 小郡に向かって途上龍吟堂を思う
註
〇小郡・・・山口県の小郡
〇龍吟堂・・・北九州市八幡の道場。旅の終着点。
〇転・結句は李白詩(聞王昌齢左遦竜標尉遙有此寄)の「我寄愁心与明月、随風直到夜郎西」に因る。
〇清池・・・龍吟堂の池
〇馬関・・・山口県下関
詩意
周防の旅路は、はや日が傾いて自分の影が真後ろにいよいよ長くなってきた。私はひたすら夕日に向かって歩いているが心に迷いはない。
ただ、高吟して龍吟堂に思いを寄せるので、どうぞ吟声が風に乗ってただちに下関の西へ至りますように!
解説
防府市、昔の周防の国の中心を歩いた。毛利氏にまつわる遺跡も多いようだが我々は町を素通りすることにした。地図上で測ったところ、この日の行程は四十一キロである。特別長い行程ではないが体力と一日の時間には余裕がない。
佐波川を渡って再び二号線に合流したところで、坂井氏の調子があやしくなった。彼は高校時代に柔道で足首を二度も骨折している。小よく大を攻めた向う傷である。 普段は差し障りはないが、長旅では随分無理をしたみたいだ。大変なことになっては困る。最寄りの駅の近くで別れ、電車で先回りしてもらうことになった。ここまでビデオを担ぎ、私と同じように行動した彼にとって残念だろうが仕方がない。
久しぶりでまた一人になった。あと十二キロぐらいと予測したが、遠かった。もう道なりに急ぐだけだった。地図で見ると、途中長沢池というのがあり。池が終わるところを右に曲がると一キロ弱で大村益次郎の墓がある。長州では幕末回天の三傑にも数えられる異才の人物だ。大いに興味があるのだがこれも省略した。
なお、とぼとぼ歩いても、なかなか宿に着かない。すっかり陽は西に傾いた。振り返ると真後ろに自分の長い影があった。こんな影を見るのも懐かしい感じがした。